聖書 使徒言行録 16章 25節
「真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた。」

 

お話
4月24日・金曜日、映像礼拝13回目の朝です。今日も、気持ちの良い晴れの朝です。そして、何となく穏やかな気持ちになれる朝が続いているように感じます。

いつもの礼拝では、まず、讃美歌を歌いますね。1年生の皆さん、ぜひ、楽しみにしていてほしいのですが、私たちは、水曜日の礼拝、聖書の時間、音楽の時間と、讃美歌をよく歌っています。ですから、讃美歌という言葉が当たり前のものになっていますが、「讃美」とは、どういう意味なのでしょうか。それを考えるのに、ちょうどいいお話が載っていたので、今日は、この「愛があなたを新しくする」という本から、少しお話を紹介しようと思います。

昨日の「こども聖書」にも、同じようなところがあったと思います。神さまの造られたもの、全てが美しい、素晴らしいと聞き、今日のように気持ちの良い晴れの日を想像すると、本当にそうだな、と思えます。

しかし、今日、読んだお話の中で、讃美の歌を歌った場面は、誤解の中、いわれのない罪で牢屋に入れられていたところでした。そんな時にも、讃美の歌を歌う、感謝するというのは、簡単なことではないと思います。

今、このお話を聞いて、よし、辛くても、嫌なことがあっても、感謝しよう、と思ってくれたとします。でも、30分後に、家族とけんかをして、文句を言っているのかもしれません。私は、それもいいと思います。そして、そんな文句だらけの毎日の中で、何かの時に、今日のようなお話を思い出し、そうだそうだ、いつ、どこででも、感謝や讃美の気持ちを持つことはできるんだ、と思い返せば、いいのかな、と私は思っています。

では、皆さんから届いたメールをご紹介します。今日は3通です。また、引き続き、メールを待っていますので、おうちの方の都合を聞いて、可能でしたら、いつでもどうぞ。

では、今日は、内藤先生に出ていただこうと思います。

内藤先生

むさしの学園の歌、これも、学校の中で、たびたび歌うものです。1年生の皆さん、楽しみにしていてくださいね。今日は、「歌」を通して、お話をしてきました。「歌」には、力があると思います。私も卒業生ですから、皆さんと同じ制服を着て、礼拝で立っていたのです。長い話、早く終わらないかな、と良くないことを思いながらも、6年間を過ごすと、「歌」が体に染みついているんですね。むさしの学園を卒業し、讃美歌などから離れていても、何かの時に、讃美歌を聞くと、暑い中、汗をかきながら立っていた礼拝を思い出したり、先生に怒鳴られて、でもなぜかほめられたことを思い出したりします。

むさしの学園は、ものめずらしいイベント、行事ではなく、飾らない、当たり前のことをコツコツと続けることを大切にしますが、結局、そういう積み重ねが、体と心の奥底にたまって、力になるのだと思います。

皆さんの毎日も、きっと大変なことがあると思いますが、今、取り組んでいることの積み重ねが、必ず、心と体の役に立ちますから、落ち着いて、続けてください。

では、今日も希望を持って、一日を過ごせるよう、祈ります。では、また、明日の朝、会いましょう。

第13回 映像朝礼の話