聖書 マタイによる福音書 5章 4節
「悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。」
お話
4月28日・火曜日、映像礼拝15回目の朝です。今日も、気持ちのいい朝です。皆さんの今日も、素敵な、明るいものになるよう、願っています。
今日は、こども聖書から、1日分を読もうと思います。
「マタイによる福音書 5章 4節」
悲しいこと、嫌なことを無くそうとして、無くすことはできるのでしょうか。できる可能性は、あるかもしれません。それは、何が起きても、何も感じない訓練をする、ということです。
いやいや、そんなことは無理でしょう、と思った人は、恵まれています。皆さんが、皆さんの気持ちを受け止めてくれる人と過ごしてきたから、そう思えるのではないでしょうか。
とても嬉しいことがあって、飛び跳ねるように喜んでも、誰も反応してくれない、あるいは、ひどく悲しいことがあって、ご飯も食べたくないのに、誰も気にしない、そんなことが毎日、毎日、続いたら、かえって悲しいことは無くなる、より正確に言えば、悲しいと感じることが無くなってしまうのではないかと思います。
「こんなに豊かに 悲しめるんだ」
とても、いい表現だと思いました。しかし、悲しんでいる、当の本人にそれを言っても、その時は、なかなか実感はできないでしょう。誰か、家族やお友達が、悲しんでいる時にこそ、あなたは、そういう気持ちで一緒に過ごす、横にいる、ということが大事なのではないかと私は感じています。
さて、今日は、少し学校の中を歩いてみたいと思います。ここは、講堂です。何か変わったことは、あるか、特にありませんよ。
次に、廊下を歩いて、教室の方に向かいます。中庭の桂の木がきれいに葉を茂らせていますね。春から初夏に向かう気配を感じます。そして、教室、理科室、図書室と、皆さんのいない学校は寂しいものです。早く、皆さんの顔がそろい、声が響く学校であったほしいと思います。
しかし、私たちは、いつも最善のものを与えられている、と考えることが大切だと思います。今、目の前ですべきことに集中できるよう、おたがいに努めましょう。
では、今日も希望を持って、一日を過ごせるよう、祈ります。明日は祝日です。なので、次に会うのは、明後日の朝ですね。おたがい、元気に過ごしましょう。