聖書 マタイによる福音書 5章 43節~44節
「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」

 

お話

5月1日・金曜日、映像礼拝17回目の朝です。今日も、気持ちのいい朝です。そして、いよいよ5月が始まりました。この5月も学校のお休みは続きますが、その中でも、私たちにとって、自分の力を本当に伸ばす、豊かな5月になるよう、祈ります。

さて、今日は、こども聖書から1日分読みます。

「マタイによる福音書 5章44節」

これは、聖書の話の中でも、とても有名な部分ですね。そして、敵を愛し、敵のために祈るなんて、本当に難しい、そういうお話だと思います。それについて、こども聖書には、嫌なことをしてくる人も、苦しい状態にあるのかもしれない、と考えてみましょう、と書いてありました。

まず、こういうふうに、相手、人の置かれた状況を想像してみる、ということが、私たちの考えを広げ、怒りや憎しみに振り回されずに済むことになると思います。

しかし、一方で、私が感じるのは、相手の置かれた状況を考えて、

「あ、あの人って、かわいそうなんだ」

という気持ちになったら、要注意だ、ということです。

「かわいそう」

というと、相手を思いやった言葉に感じるかもしれません。しかし、本当にそうでしょうか。

「あ~かわいそう」

と言われると、いや、言葉がなくても、そういう気持ちで接しられると、自然と、自分は見下されていると感じるのではないかと思います。

自分に憎らしいことをしてくる人のために祈ったり、大切に思えたりできたらすごいな、と思います。そして、そのために、相手の事情を考えてみることも大事だと思います。しかし、その結果、相手よりも、自分が上になろう、相手をかわいそうな存在にしてしまうことは、より憎しみの傷を深めることになるように思います。

もし、同じ立場に立って、相手の苦しみを感じることができたなら、

「あ、それは辛いね」

とか、

「大変だったね」

とか、他に、いろいろ言い方があると思います。心の奥底で、相手を見下したい気持ちは残るかもしれませんが、出てくる言葉を選ぶことで、相手に伝わるものも、変わるように思います。

さて、今日は今からラジオ体操の動画を流そうと思います。私のところに、おうちの方からもメールをいただきますが、その中で、朝起きてラジオ体操をし、それからこの映像朝礼を見て、そして勉強をする、というリズムにしてくれているおうちがいくつかあることを知りました。

そこで、急遽、矢部先生がいつもの校庭でのラジオ体操のように、やってくれましたので、その映像を流します。皆さん、今、そこで、できる範囲で、一緒にやりましょう。

矢部先生もおっしゃっていました。体を動かすことは大切ですね。もちろん、今、この状況でできること、できないことはありますが、可能な中で、できることをぜひ、探してほしいと思います。

さて、保護者の方に一言、申し上げます。この度、臨時休校を延長することにいたしました。それについて、このZoomを使って、午後7時からご説明の機会を設けようと思います。その詳細は、今日の午後2時ごろに一斉メール配信でお知らせします。

基本的に、この朝礼のようにライブで実施する予定ですが、終了後、録画を公開しますので、お忙しい時間帯だと思いますから、ご都合のよい時に見ていただければ、ありがたく存じます。

ではお互い、それぞれの与えられた持ち場で、希望を持って、一緒に頑張りましょう。次は来週の木曜日、5月7日の朝、会いましょう。

第17回 映像朝礼の話