本日、むさしの学園小学校は2019(平成30)年度を終業いたしました。
皆様のご協力により、無事、1年間を終えられたことに感謝いたします。
終業礼拝での校長の話を以下に掲載いたします。
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聖書 マタイによる福音書 25章 28節から29節
さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ。
だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。
長かった1年間も今日で終わります。皆さんにとって、この1年間は、どんなものだったでしょうか?
いろいろなことがあったでしょうが、「終わった!」というのは、やはり、気持ちがスッキリするのではないでしょうか。
さて、今日の聖書は、マタイによる福音書25章28節から29節を読みました。
これは、「タラントのたとえ」という、とても有名な話の締めくくりになる部分です。
「持っている人は、さらに与えられ、持っていない人は、持っているものまで取り上げられる」
そう言われてしまうと、ちょっと怖いような、ひどいお話のような気がするかもしれません。
しかし、私は、本当にその通りだな、と思っています。
「持っている」とか「持っていない」とか言われると、お金や物を想像するかもしれません。
「ウチのお金、ボクの大切なコレクション、ワタシのお小遣い…そんなに多くないなぁ~取り上げられたらどうしよう!」
そう思った人もいるかもしれません。
しかし、このお話は、「持っている」と受け止めているか、「持っていない」と受け止めているかということの方に目を向けることが大切です。
お金でも、物でもいいですし、友達や大切な人、温かい気持ちなど目に見えないものでもいいのです。今、「ある」こと、「ある」ものに気持ちを向けることが重要です。
何億円持っていようと、友達が何百人いようと、「あ~、私には足りない」と思っていれば、「持っていない」のです。
逆に、どんなにわずかな額のお金でも、友達がたった1人でも、「あ~、あってありがたい、私のそばにいてくれてありがたい」と思っていれば、「持っている」のです。
そう考えると、「持っている人は、さらに与えられ、持っていない人は、持っているものまで取り上げられる」という話も、怖かったり、ひどかったりする話ではなく、そうか、と素直に心の中に入ってくる、あるいは希望が湧いてくるのではないかと思います。
今日で、むさしの学園の1年間が終わります。
その終わりとなる機会に、私から皆さんに1つお願いをしておきます。この後、お家に帰りながらでもいいし、寝る前でもいいので、ぜひ、1人で心静かにこの1年間を振り返り、自分にあったもの、あたえられたもの、ことを考えてみてほしいと思います。
たくさん見つかれば見つかるほど、4月からの1年間で、それらがより増えるのだ、と思い出してほしいと思います。
終業のお祈り
天の父なる神様、今日、こうして、むさしの学園の1年間を無事に終えることができることに心から感謝します。
今日までの1年間には、いろいろなことがありました。そのすべてが、その時の私たちにとって、ふさわしく、真に必要なものであったと感謝のうちに、終業の礼拝を終えたいと思います。
そして、大きな事故や、病気もなく、心も、体も、健やかに新しい学年を始められるよう、お守りください。
このお祈りをイエス様のお名前によって、お捧げします。アーメン。