聖書 ヤコブの手紙 4章 1節
「何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いが起こるのですか。あなたがた自身の内部で争い合う欲望が、その原因ではありませんか。」
お話
今日も秋らしい、気持ちの良い日が与えられました。まず、感謝したいと思います。
さて、今日の聖句では、戦いや争いの原因について書かれていました。
「あなたがたの間に」の「あなたがた」とは、この手紙の受取人であったユダヤ人クリスチャンのことを指しています。ですから、これは教会の外での争いのことではなく、教会の中での、クリスチャンの間にあった争いのことなのです。彼らはイエス・キリストを信じて救われていました。なのに、そうした彼らの間にも戦いや争いがあったのです。いったい何が原因でこうした戦いや争いが起こるのでしょうか。
ヤコブはここで、その原因を次のように言っています。「あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか。」こうした戦いや争いの原因は私たちの外側にあるのではなく私たちの内側にあるのであって、私たちのからだの中で戦う欲望が原因であるというのです。どういうことでしょうか。
今日読んだ聖句の続き、2節には、「あなたがたは、ほしがっても自分のものにならないと、人殺しをするのです。うらやんでも手に入れることができないと、争ったり、戦ったりするのです。」とあります。私たちは他の人の自分よりもいいところ、優れているところを見ると、うらやましく思うかもしれません。それならまだいいのです。自分にはどうせできないと思い、できる人を見ると嫌な気持ちになったり、敵対心を抱くようになったりするのです。
そして、さらには、その人がいないところで悪口を言ってみたり、うわさ話をして、その人の評判を落とそうとしたりすることさえあります。つまり、そうした自分の中で戦う欲望が外側に表れて、それが争いや戦いになるのです。
教会に集まるような信仰を持った人は、争いをしないのかというとそうではなく、人が集まるところにはどこででも争いが起こるのですね。ここで私が思ったのは、「隣の芝生は青く見える」という言葉です。あなたから見て、とても素晴らしく、うらやましい、そして憎らしい誰かがいるかもしれません。しかし、別の誰かから見たあなたは、真似のできない、うらやましい、そしてちょっと憎らしい存在なのかもしれません。
誰かを憎らしく思った時は、実は自分にも、素晴らしいところがあると気が付けるチャンスなのかもしれません。