先日から1年生でも個別の時間が始まりました。

個別とは、低学年の国語の中で、音読と写し書きをする時間のことです。

進度が個別であること、教師が個々に音読を聞くことから、「個別」と呼んでいます。

 

ある保護者の方に、

「校長先生が我が子の字のことなど、個々の具体的な状況を知っていて、どうしてかな?と思っていた」

と声をかけていただいたことがあります。

 

なぜ知っていたか。

それは、個別の時間、特に1年生の個別は、担任に加えて、校長も入って、個々に子どもの様子を把握しているからお伝えできた、ということなのです。

 

私も卒業生なのですが、私が1年生の時も、担任の先生の他に、校長先生が読みを聞いてくださり、読んだ教科書や描いたスケッチブックに二重丸をつけていただいたのを覚えています。

 

ですから、私たちにとって、担任でなくても、子ども達個々の具体的な事柄を把握していることがあるのは、長い年月で培われた、もはや当たり前のことです。

 

「それって、当たり前のことではありませんよ!」

と、その保護者の方はおっしゃってくださり、とてもありがたいな、と感じました。

 

時代に応じて変えることは、たくさんあります。

一方で、決して変えないこともあります。

その決して変えないことの一つが、

「教師は、子ども達と共に過ごし、個々を受け止める」

ということです。

 

このことが、「寺小屋主義」という言葉に凝縮していると、私は考えています。

ちなみに、100年前、創立者たちは、あえて「寺小屋」と書いていました。

それは、「小さい学び舎」であることを大切にしていたからです。

 

むさしの学園は、これからも、伸びやかな寺小屋として、教師と子ども達がしっかりと関わっていきます。

<校長ブログ020>ある保護者にかけられた言葉