むさしの学園は、今日、1学期を終業しました。
皆様のおかげで、こうして無事に終業できましたことを心から御礼申し上げます。
今日の終業礼拝では、放蕩息子のたとえについて、子ども達に話をしました。
放蕩息子のたとえとは、ルカによる福音書に書かれている、神の愛の大きさについての話です。
子ども達には、愛の大きさと言われても、なかなか実感できるものではないでしょう。
しかし、このような話に触れることで、何かしら、心に残るものがあるといいな、と思います。
放蕩息子のたとえについて、こんなことを書いている記事を見たことがあります。
「あ~昔は、自分も放蕩息子(放蕩娘)だったな、と思える人は、どこかで温かい眼差しに包まれていた経験がある人だ」
これは、私にとって、とても大きな意味をもつヒントでした。
むさしの学園は、聖書の教えを土台としていますが、信仰を強要したり、お願いしたりするものではありません。
ですが、人生の基盤となる小学校生活という時期に、
「温かい眼差し」
に包まれた経験を持つことは、極めて大きい意味を持つのではないでしょうか。
もちろん、第一義的には、ご家庭で「温かい眼差し」に包まれるべきものでしょう。
そして、発達の段階、活動の範囲の広がりに応じ、学校でも「温かい眼差し」があることは、本人にはもちろん、周囲の人々に対しても、よい影響のあることだと私は考えています。
温かい眼差しに包まれた経験があるからこそ、
あ~自分も放蕩息子、放蕩娘だった、と素直に言える。
そこに、真の強さ、芯の強さ、しなやかさを私は見出します。
この1学期の日々が、保護者の皆様、縁ある方々の支えによって成り立っていたことに、改めて御礼申し上げます。
まだまだ例年のようにはいかない夏休みですが、それぞれの場で、豊かな時間を過ごし、また2学期の営みに向かえるよう願います。