先日、あるクラスで、漢字の練習に取り組む子どもの横に座っていました。
1字1字、書いていく様子を見て、丁寧に書けたことをほめたり、書き順が間違っていたり、細かな間違いがあったりした時に、その場で、修正できるように声をかけたりしていて、ふと思いました。
時代がどう変わろうと、教材や教科書の内容がどう変わろうと、結局、1人1人の横にいて、その取り組みを見守ることが、教育の本質なのです。
子ども達は、できるようになりたいのです。
保護者や教師など、大人の期待に応えたい。
そして、自分自身で、できた実感を味わいたい。
だから、私達は、そんな彼らの取組みの1つ1つを把握し、認めていく必要があります。
そのためには、少人数の寺子屋であることが、大いに意味を持ちます。
寺子屋と聞くと、和室に座った子ども達が、筆を手に字を書いたり、そろばんで計算をしたりという、生活に密着した実学の場を思い浮かべる方も多いでしょう。
生活に密着した実学の意義もさながら、令和の今、求められる寺子屋の意義とは、教師が子ども達と常に共にいて、その実情を把握し、それに応じた対応をすることです。
子ども達、1人1人の横にいて、丁寧に関わることは、決して派手な、ドラマティックな取組みではないかもしれません。
しかし、本当の意味で、子ども達の人としての基盤が培われ、基礎的な学力が培われることにつながるのです。
<校長ブログ097>1人1人と丁寧に関わることの意義