本日、2学期が始まりました。
残暑厳しい9月の始まりですが、朝晩は、ずいぶん過ごしやすくなったと思います。
皆様、どうぞご自愛ください。
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聖書 ペトロの手紙1 4章 7節から10節
万物の終わりが迫っています。だから、思慮深くふるまい、身を慎んで、よく祈りなさい。 何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです。不平を言わずにもてなし合いなさい。あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。
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礼拝の話
2学期が始まりました。どんな夏休みでしたか?出来事や思ったことをぜひ、教えてくださいね。お話を聞くのを楽しみにしています。
さて、2学期は一年の中で、最も長い学期です。行事もいろいろあります。その中で、目前に迫っているのが運動会です。
皆さんの中には、もう今から楽しみで、ウズウズしている人もいるでしょう。びっくりするような速さで前を走る人に追いつき、抜き去ってしまうような人を見ると、すごいなあ、と思います。
中学年や高学年になると、そういう優れた能力や特別な魅力を持っている人のことを「カリスマ」と呼ぶのを聞いたことがあるかもしれません。テレビやインターネットの記事などで、「カリスマ○○」などという表現で、魅力や人気などを伝えることも、よくあります。
しかし、「カリスマ」という言葉は、ギリシャ語の「カリス=恵み」からできたもので、本来、「恵みとして与えられたもの・賜物」という意味です。
今日の聖句で、「神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい」という部分を読みましたが、ここでいう「神のさまざまな恵み」がまさに「カリスマ」なのです。
この恵みや賜物は、何かの努力の結果得られたものとか、ご褒美で与えられたものではありません。ただ、神様から与えられたものです。しかも、皆それぞれが異なったものを与えられています。そして、恵み、賜物は、その素晴らしさを自慢するためにあるのではなく、誰かのために使うべきことを教えてくれています。
先ほどの運動会の例に戻ると、皆の目を引く素晴らしい足の速さ、運動神経という「恵み、賜物」を与えられた人は、全校生徒、たくさんのお客さんの前で、その素晴らしさを披露することができます。その誇らしさ、喜びは大いに味わってほしいと思います。私も心から拍手したいと思います。
しかし、今、お話ししたように、真の「カリスマ」は、見せつけたり、自慢したりするものではありません。誰かのために使うために、神様からそれぞれに違うものが与えられているのです。
一年で、一番長い、この2学期という期間、皆さんは自分が神様から与えられた「カリスマ」とは何か、ぜひ考えてみてほしいと思います。そして、それを誰かのために使うとは、どういうことなのか、それも自分なりに考えてみてほしいと思います。
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始業のお祈り
天の父なる神様、今日、こうして皆で集まり、2学期を始められることに感謝します。
今日から始まる2学期には、失敗したり、恥をかいたりして、やる気をなくしてしまうこともあるかもしれません。しかし、そんな時こそ、私達は、人それぞれの恵み・賜物を与えられ、それを誰かのために使うことができるということを思い出したいと思います。そして、心を新たに、自らのすべきことに、淡々と取り組むことができるよう、心を強めてください。
このお祈りをイエス様のお名前によって、お捧げします。アーメン。