子ども達から、同じことを質問されると、
「話を聞いていなかったな!」
などと、こちらが感じた「評価」の方が先になってしまうことがあるように思います。
このことについて考える出来事があったので、書かせていただきます。
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先日、子ども達と、聖書のある一節を読んだ時のことです。
ある子が、
「この言葉、どういう意味?」
と聞いてきたので、解説し、読み進めました。
少し進むと、また、同じ言葉が出てきました。
すると、別の子が、
「これって、どういう意味?」
と質問をしてきたので、思わず、
「だから~」
と、言いそうになるところを、すんでのところで止め、落ち着いて、同じ解説をしました。
皆様にも、同じようなご経験があるのではないでしょうか。
私が学園に勤めだしてすぐ、このことについて、当時の校長から直接、教わったことが印象に残っています。
それは、
「子どもからの質問は、同じことだったとしても、何度でも答えた方がいい」
ということです。
趣旨は理解できても、なかなか実際には難しいこともあり、人間のできていない私は、
「前にも言ったよね」
などと言ってしまうこともありました。
しかし、経験を重ねていくうち、やはり、教わった通り、何度でも答えた方がいい、と実感するようになりました。
わからないこと、できないことは、悪いことではありませんが、質問することには、大いに心のエネルギーを使う人も多いものです。
より質問しやすい雰囲気を整えるために、「だから」などと、嫌味を挟むのは、やはり良くないようです。
むさしの学園で国語の個別学習~音読、書き写し~を始めるきっかけになった、成城学園で校長をされていた柴田勝先生も、このことについて、
「子ども達のために!」
と題した教師向け解説書の中で、
「学ぶには、先生も、友達同士も、質問しあうことが大事」
と書かれています。
複雑化していく社会を生き抜いていく子ども達にとって、求められる素養も変化することでしょう。
しかし、常に教師が子ども達と過ごし、少人数の密接なかかわりの下で、このような、素朴な関係性を確実にしておくことは、今後の人生確固とした基盤になると考え、これからも大切にしていきます。